耳管開放症になって感じたこと
*この記事では具体的な治療法は書いていません。
こんにちは。たきみです。
突然ですが僕は耳管開放症という病気を患っています。耳と鼻を繋ぐ管を耳管と言って、普段は閉じているんですが欠伸や唾を飲むと一時的に開いて中耳の気圧の調整や鼓室内の分泌液を排出させる役割があります。
しかし、なんらかの理由でこの耳管が閉まらなくなる病気を耳管開放症といいます。閉まらなくても大丈夫じゃないか?って思う方もいるかもしれません。開いてたら中耳の気圧の調整もしなくていいし、分泌液も流れていきます。でも耳管が開いてる故に自分の声が直接耳に響きますし(自声強調)、鼻で呼吸する空気が鼓膜を揺らします。
これがなかなかしんどいです。なぜってまあ単純に不快であること、そして本来は自律神経によって無意識に行われてる「呼吸」という働きを意識せずにはいられなくなるからです。これは例えるなら自律神経による心臓の鼓動が常に大音量で聴こえて意識せざるを得なくなって常に心休まらなくなる感じです。
私は左耳は外科的治療、右耳は保存的治療である程度完治しています。しかし、この記事ではこの病気の原因や治療法を書いていくつもりはありません(今後書く予定ではあります)
今回はただ病気になって思ったこと感じたことを自己整理、だれかに共感してもらいたいという考えから書こうと思いました。
難治でも諦めたくない
僕は幼い頃から病気を患うことは他人より多かったです。ですがその殆どの病気は完治するか、気にならない程度には治るか、はたまた再発はするけど気をつけていたら大丈夫な程度になるなどでした。
しかし、この耳管開放症という病気は違いました。僕は発症した当時すぐに耳鼻科に行きましたが、「一旦様子を見てください。ほっといたら1週間程度で治ることもある」と言われて気にしないようにしました。
正直この病気を患った当初はすぐに治るだろうと思っていました。しかし1週間経っても全く治る気配はありません。ネットで見たのですが何十年も耳管開放症が治らなくて、それによって鬱を併発する人がいるらしく、自分はそんなことにはならないと信じるしかありませんでした。
いつか治ると思って病気と付き合うのと一生治らないと思って病気と付き合うのでは全く心理的ストレスが違います。僕は顕在意識では治ると信じていましたが、おそらく潜在意識では一生治らないのではないか?と思っていたと思います。
僕は常にこの症状が見られたので日常生活が本当に辛かったです。自分の声が大きく聞こえて他人の声が聞き取れないし声の大きさの調整が上手くできませんでした。人と喋るのが嫌になって仕事以外は家に引きこもっていました。
しかし、いつか治ると信じて色んな方法で治療をしました。奇跡的に右耳は殆ど通常に戻りましたが左耳は常に開いたままでした。結果として手術を受け、ある程度改善しましたが正直なところ妥協できるまでには至りませんでした。
医者には諦めろと言われましたが、僕は諦めたくない気持ちでいっぱいです。とても辛いかも知れませんがまだこの病気と闘っていこうと思っています。
病気になること
今回病気になって感じたことは「健康は大事だ」というとても当たり前のことでした。
以前イケダハヤトさんが「30歳までに病気にならなかったことは奇跡だ」と言っていましたが正にその通りで、若くても何らかの疾患で社会生活を送れなくなる人なんて山ほどいます。
この記事を読んでいて今を健康に生きてる人はその精神と身体を大事してほしいと心から思います。
現代は少し前よりも病気の種類が変わってきています。衛生的には以前よりマシな世の中になってきているとは思います。しかし、ブラック企業等による精神病患者の増加やスマホの使いすぎにより若年層の視力の低下・老眼などの現代ならではの病気が増えてきています。
いくら医療が進んでいるからと言って何でも治せるわけではありません。特に難病やマイナーな病気はまだ治療法が確立されてないものも山ほどあります。再生医療もこの先どうなるかわかりません。
「病気になってもそのうち治る」という考えは危険です。失われたら一生戻ってこない器官もあります。
確かに失ったら大事なことに気づきます。ですが失ったものは二度と手に入らないかも知れません。死ぬまではこの身体でしか生きれないのなら、この身体は自分の全てです。自分の身体が何よりも大事です。
僕は自分の生活に非があって病気になってしまったので後悔したり、過去の自分を責めました。しかしそれは時間と労力の無駄だと感じます。
少しでも好転できるように正しい努力を焦らずにしていきたいというのが今の気持ちです。
めりはりのない作文みたいな文章でごめんなさい。この記事は100%自己満足だと思ってください。
今後、耳管開放症の治療法の記事も誰かの為になれぼいいなと思い書きたいと考えています。
それではまた。